早岐茶市

茶市の由来

 

奈良時代の文献である、肥前風土記に「郡の西北にあり、此の所は、潮が満つ時は東に流れ、引く時は西に湧いて、その響きは雷のようである。」それが速来の門という、それは早岐瀬戸のことで、後の早岐の地名の起こりであります。
 安土桃山時代の頃から海陸共に交通の要衝であった早岐で、山に往んでいた猟師や山武士達が獲った鳥獣の皮等と、海辺に住む漁師が獲った魚や海草等と、物々交換をしていたことから自然発生的に「市」がたつようになり、田植前の農閑期で、初夏の素晴らしいこの季節に縁起の良い七・八・九のつく日に市が開かれるようになりました。
 最盛期は、江戸時代末期から明治時代の中期の頃で、五島や平戸そして附近の島々から、六百余隻もの大小の船が集まり、遠くは博多、佐賀、長崎等からは、見物人や商人達が大勢やってきました。
 早岐瀬戸の周辺は「替えまっしょ、替えまっしょ」と海や山の幸を交換する人々、数万の人出でがあったと伝えられています。
又、その頃は、九州のお茶の相場が早岐で決まったともいわれています。
 時代は移り景観は変わりましたが、今も、お茶を始め、若布・魚の干物・苗類・陶磁器類との物々交換がおこなわれていました。
 以前は、茶市に合わせてサーカスや見世物小屋、あの懐かしいガマの油売り等もきて大勢の見物客も大変賑わったものです。
五月、この頃がちょうど季節の変わり目で、爽やかな風と共に茶市がくると夏がやってきます。
茶市ん風にあたるぎんた、そん年は風邪ひかんとバイ」と、昔からいわれています。
四〇〇有余年の歴史をもつ「早岐茶市」を文化遺産として受け継ぎ、私達は益々盛んにしていきたいと考えております。